女性の体に毎月訪れる「生理」。この生理現象ははるか昔から、もちろん生理用ナプキンなど存在しない時代からあったはずですが、当時の女性たちはどのように対処していたのでしょうか?今回は、日本における生理用ナプキン(あるいはそれに代わるもの)の歴史を見ていきたいと思います。

今回は、日本における生理用ナプキン(あるいはそれに代わるもの)の歴史を見ていきたいと思います。

日本の生理用品の始まりは謎に包まれている

日本の生理用品についての記録が残っているのは、平安時代から。残念ながら、それ以前の時代(旧石器時代~奈良時代)に、人々がどのような生理用品を使っていたのかは分かっていません。おそらく、枯葉や砂、灰などに経血を吸収させていたのではないかと言われてます。ちょっとびっくりですね。そして、そのようなものでは思うような吸収力が得られず、経血モレをしてしまいそうです。

ちなみにですが、世界中には現在も生理用品がない地域が存在しています。そのような地域では、生理中の女性は納屋などに隔離され、未だにそのようなものを使用して過ごしているのだそうです。

  • 平安時代以前の生理用品は枯葉や砂、灰などだったと言われている。

平安時代頃から布製の生理用品が使われていた

平安時代になると、布製の生理用品が登場します。記録には「月帯(けがれのぬの)」とあり、ふんどしのような形をしていました。その布と、体の間(股の部分)に、経血を吸収するための当て布を挟んで使用していたと思われます。

平安時代の生理用品では、麻布やクズの繊維でできた葛布という布の端切れなどを吸収体として使用していたようです。

麻布やクズという植物の繊維で作った葛布(くずふ)という布の端切れを当てたり、タンポンのように詰めて使用していたのだそうです。どちらの繊維も、ざっくりとした風合いなので、ガサガサした使い心地だったのではなかろうかと、個人的には思います・・・。身分が高い女性であれば、真綿を使うこともしていたようですが、庶民レベルでは、当て布に植物の葉を使用していたとも言われています。

その後、江戸時代にまで時代が下がると、木綿の「丁字帯」が主流となり、和紙が当て布として使用されるようになりました。紙・・・!

  • 平安時代には布製の生理用品が登場した。
  • 当て布として布の端切れや真綿が使用されていた。
  • 江戸時代には当て布に和紙が使用されるようになった。

日本で生理用ナプキンが発売されたのは1961年

明治時代になると、丁字帯に挟むものが和紙から脱脂綿に変わっていきます。また、脱脂綿をタンポンのように使用することも採用されました。これは、1886年(明治19年)に、脱脂綿が体液吸収に効果のある医薬品として日本薬局方に指定されたことが大きな理由です。大正時代には、脱脂綿をガーゼでくるんだ生理用品が登場します。

日本国内で初めての生理用ナプキンである「アンネナプキン」が発売されたのは1961年のことです。

日本国内で初めての生理用ナプキンである「アンネナプキン」が発売されたのは1961年。その生みの親は27歳の主婦、坂井泰子という女性でした。このアンネナプキンは、「40年間、お待たせしました!」というキャッチコピーのとおり、使いやすい生理用品を待ちわびていた日本女性の間で爆発的に売れ、以降、日本女性に生理用ナプキンが浸透していったのです。

  • 1961年の「アンネナプキン」の発売で、日本の女性に生理用ナプキンが浸透した。

元来、日本には、仏教や神道の教えと相まって、「血の穢れ」という、月経を不浄なものとする慣習が深く根付いていました。そのため、女性の生理は、恥ずかしい、不浄なものだという意識が刷り込まれ、生理用品についても大々的に議論することがはばかられる風土がありました。

そんな時代の中でも、何とか工夫して快適に過ごしたい、世の中の女性の生理を快適にしたいと願う人の努力があったからこそ、私達は今、自分に合った生理用品を好きに選べるのです。そう思うと、毎月当たり前のように使っている生理用品が、とってもありがたいものに思えてきますね(*´ω`*)

その幸せをあらためて感じながら、より快適に過ごせるアイテムに出会っていただければと思います。